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難しいことは理解が難しいから難しい(高校までの数学を振り返る)

Twitterでこんな内容のツイートを見かけました。

 

「難しいことを簡単に説明できる人がエラい」神話、やめにしませんか?「難しい言葉」で何かを語っている時、そこにはその言葉を用いざるを得ない必然的理由がある。(要約)

 

難しい問題をわかりやすく説明できる人が問題を一番理解していると言われる。説明する側としてはそのとおりだが、わかりやすい説明は専門的な説明と同等ではない。もし本気で学びたいのであれば、難しい問題は専門的な説明のまま理解できるように自らの頭を鍛える必要がある。(一部抜粋)

 

これらのツイートがどの分野について話しているのかはわかりませんが、ふと数学に当てはめて振り返ってみました。

(冗長な文章が続くので飛ばしてもらって構いません)

 

 

 

人に依りますが、大抵の人は小学校になってから算数を学びはじめます。

四則演算を詳しく学び、演習をすることで最低限の計算能力を身に着けていくわけです。

その簡単な応用例として、図形に関する性質や計算などもやっていくわけです。

 

中学に入り、算数が数学になることでより高等的な計算を学習していきます。

文字式(今は小学生で学んでいるのでしょうか)や方程式などの概念もやりました(ここで躓いた人もいるのではないでしょうか)

 

高校数学になるとより抽象度を増すようになります。

数値の算出より、関数や式自体を導出するようになるわけです。

さて、高校数学(執筆時現在のカリキュラム)では以下のことを学習しました。(うろ覚え)

数Ⅰ

  • 数と式
  • 集合と論理
  • 二次関数
  • 三角比
  • 図形
  • データの分析

数A

  • 確率
  • 整数
  • 図形の性質

数Ⅱ

数B

  • 数列
  • ベクトル
  • 統計と確率分布(稀)

数Ⅲ

高校数学を学習し、熾烈な大学入試を乗り切った人にとっては「高校数学だけでも数学はおおよそ理解できる」と思う人もいるかもしれません。

 

しかし、(少なくとも自分の経験上)高校数学とは、大学以上での数学によってある程度の不確かさを許容された上で議論されていたに過ぎません。

 

不確かさとは何か。典型例を挙げるならばやはり極限でしょうか。

思い返せば、数Ⅲで習う極限の基本となっていたのは、

1/n → 0(n → ∞)

でした。

 

しかし、これは何故でしょうか。おそらく、高校生の多くはy=1/xのグラフの形から想像していると思いますが、それはあくまでイメージであり、真にこのことを説明できているとは言えません。

そもそも、極限とはどのように定義されているのか、大学数学を予習していない高校生で答えられる人は少ないと思われます。

さらに言えば、上記では敢えてlimを使わずに極限を表記しましたが、このlimは極限の一意性が示されて初めて

lim=〇〇

という表記ができるものであり、その一意性も高校数学までだと証明するのは難しいです。

 

他にも例を探すと枚挙に暇がありません。そもそも、小学生の段階で扱っている、具体的には自然数や整数、そして最も重要な実数といったものはどのように定められているのか。

 

大学に入ってすぐに、これまでの数学の不確かさ,曖昧さを突きつけられ、改めて定義しなおしていくことで初めて大学数学は議論されます

 

 

 

話を最初に戻します。「難しい問題をわかりやすく説明できる人が一番理解できている、というのは本当か?」という話でした。

 

個人的な意見として、このことはあながち間違いではないのでは、と思います。

というのも、わかりやすく説明するためにはその概念の本質を正しく理解していなければできないことだからです。

 

しかしながら、「わかりやすく説明できる」というのは理解できていることの十分条件であって必要条件ではないと思います。

上記のツイートにあるように、専門的な言葉を交えつつでなければ、本質というのは理解できないと考えています。

 

 

例えば、高校数学でも習ったベクトルについて、「ベクトルとは何か」と訊かれたとします。

 

高校数学の範囲までなら、「ベクトルとは、大きさと方向を持つ量である」と答える人が多いかもしれません。実際、この説明なら理解できる(?)人も多いでしょう。

 

しかし、実際のベクトルの(線形代数的)定義とは、

「集合Vについて、

加法+:V×V →V  及び  スカラー倍・:ℝ×V →V

が定まっていて、8つの条件(ここでは省略)を満たすとき、

Vをベクトル空間という。ベクトルとは、ベクトル空間の元である。」

という、前者の説明からはかけ離れた条件で定義されています。

しかし、これをそのまま話したところで、おそらくわかりやすいする人は世間から見て少数派かと思われます。 

 

ここで、「わかりやすく説明できるのは十分条件じゃなかったのか」と思うかもしれませんが、ここでいう「わかりやすく説明できる」というのは

相手側に十分伝わる言葉を用いてその概念の本質を正しく伝えられている

であって

相手側に意味の伝わる言葉を用いてその概念を言い換えられているように見せかけているだけで、実際には正確に伝えられてはいない

ではありません。

 

 前者の表現は確かにシンプルでわかりやすいように一見思いますが、(少なくともベクトルを理解してない人が言ったところで)これはあまり本質を突いているとは言えません。

 

そもそも、(分野に関わらず)今も研究をおこなっている大学教授や、日々勉強を重ねている学生たちは、長年に渡りその分野に関する勉強,研究,調査などの多大な努力をもってして今現在その知識や研究成果を手にしているのであり、それを万人に対し簡潔に、ましてやわかりやすく説明することの方が極めて困難です。

 

 

まとめると、

人の持つ専門的な知識は長い時間と多くの労力をかけて得たものであり、その説明に"わかりやすさ"を求めるべきでない。

そして、相手の分野に関して本当に知りたいのであれば、気軽に相手に聞く以前に、自ら労力を費やして専門的な言葉に触れながら習得していくことが必要であるというのが私の考えです。